2024年11月16日( 土 )

【現地レポート】日米両政府のたらい回し「まるで植民地」~玉城沖縄県知事が訪米して講演(前)

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 現地時間11日、沖縄県の玉城デニー知事が訪米してニューヨーク大学で講演会を開催、アメリカ在住の沖縄出身者ら市民200人が参加した。講演のコーディネーターはニューヨーク大学の島袋まりあ准教授。島袋准教授は、「多様性の持つ力、沖縄の誇りある民主主義」と銘打った講演の発案者で、今回の講演会は玉城知事と島袋准教授の考えが一致したことで実現。講演会の冒頭では、政治の中心のワシントンから入るという過去3回の訪米要請活動との違いを強調した。講演会の要旨をまとめた。(ニューヨーク/横田一)

ニューヨークから訪米要請活動を始めた理由

ニューヨークでの講演会に臨んだ、玉城デニー沖縄県知事

 国会議員時代に3度、アメリカを訪問したが、これまで主にワシントンDCを中心に訪米活動を行っていた。今回は「多様性の持つ力、沖縄の誇りある民主主義」をテーマでお話するために、アメリカでも多様性に溢れている都市・ニューヨークをアメリカでの活動のスタート地点として選びました。

 沖縄は辺野古新基地建設をめぐって、後戻りできない状況に追い込まれています。今後、どのような手段で埋立を阻止していくのか。県知事になった私の判断に日本のメディアは注目しています。なぜ沖縄がこのような状況に追い込まれているのか。沖縄だけが過重な負担を求められているなか、沖縄だけに解決策を求めるのではなく、日本とアメリカの市民の皆さまが自分のこととして捉えていただき、一緒に解決策を考え、太平洋を越えて一緒に行動する輪を広げていただきたい。

玉城知事自身が多様性の象徴的存在

玉城知事の講演会で司会を務めたのは、沖縄系米国人の、
島袋アンマリア・ニューヨーク大学准教授(左)

 私の父は海兵隊員で、母は80歳を過ぎて笑顔がチャーミングな人です。しかし、私は父の顔も出身地も知りません。母は父の帰国後にアメリカに渡る予定でしたが、手紙も写真も悔いを残すからと言って焼いてしまいました。このようなかたちで日米両国の関係を持っている沖縄の人は少なくない。

 幼い頃は外見が違うという理由だけでいじめられましたが、私を実の母以上に可愛がってくれた養母は、差別や偏見が心の傷にならないように優しく教えてくれました。いまでは自分の負い立ちを肯定していますし、基地周辺にある飲み屋で働いている女性たちの食事や洗濯の世話をする「賄い」が仕事だった私の母の姿を知っています。つまり私にとって米軍基地とは、政治的な問題よりも日常生活の延長に見ていたものです。基地を見ながら育ったウチナンチューの問題であったのです。

 沖縄はいま、辺野古新基地建設を強行しようとしている日本とアメリカの両政府とぶつかっています。この対立は反米とか反基地というイデオロギー的な対立ではなく「これ以上、基地はいらない」という生活者のリアルな声です。さらに、沖縄は基地経済に依存しているわけではない。日本の国土面積0.6%の沖縄に70.3%の米軍基地が集中しているのに、さらに新しい基地をつくろうとしていますが、これには県民の約7割が反対しています。沖縄が直面している政治問題で、私は、沖縄の米軍基地の即時閉鎖ではなく、辺野古の新基地建設という沖縄県民に対してのさらなる負担に反対しているのです。

埋立承認撤回(執行停止)について

 本来なら国民が政府と戦うために使う権利なのですが、日本政府が辺野古の新基地建設を再開させるために、政府が私人になりすまして法の主旨を捻じ曲げています。沖縄県は「法治国家にあるまじき行為だ」として強く批判しています。米軍基地を優先するために政府は、法の例外規定まで沖縄に押し付けているわけです。

届ける先がない沖縄の民意――日米両政府のたらい回しで切り捨て

 しかし、こうした問題は日本にだけにとどまりません。米国も当事者です。沖縄県は、日本と米国の三者対話をもちたいと切望していますが、アメリカは日本に対して「それは日本国内の問題だ」と片付けてしまいます。沖縄がアメリカに直接、米軍基地に関する苦情を訴えると、アメリカは苦情を日本政府に回します。そして日本政府は地位協定などを理由として沖縄からの苦情を切り捨てるわけです。このように、沖縄からの民意の声は最初からなかったかのように消されていくのが常となっています。

 この民意の声をしっかりと受け止め、私あるいは私たちが責任をもって解決しようという政治家は、残念なことにアメリカにも日本にもいません。こうした国際社会の下で沖縄県民は一体、どのようにして声を上げることができるのでしょうか。基地をつくる日本、基地を使うアメリカ、どちらも当事者であるはずですが、その基地を押し付けられている沖縄からの声はどこに届ければいいのでしょう。民主主義の尊厳をアメリカと共に分かち合いたいという沖縄県民の願いは、どのようにすればつながることが可能なのでしょうか。

 沖縄県は政治的かつ法的なあらゆる手段を尽くして、辺野古の新基地建設を阻止しようとしています。しかし政府の扉と、法律の門は閉じつつあるという厳しい現実に直面しています。沖縄はいつまで政府の扉の前で待たなければならないのでしょうか。こうした沖縄に対する扱いを「まるで植民地のようだ」と反発する沖縄県民も少なくありません。沖縄の立場で見た場合、日本は法治国家であるという主張に対して「自作自演」と言わざるを得ません。そうでないのならば、民主主義の正義をもって沖縄と真摯に対話をすべきです。

(つづく)

(後)

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